ドリフターズといえば、我々の世代では、代表的なコメディアングループ。新井注さんが脱退する際、新しく入ったのが、志村さん。

当時は、ドリフターズの付け人をやっていたそうですが、新加入から、あっという間に、当時、グループ内で、ダントツの人気を誇った、加藤茶さんと、人気を2分するほどになったのだから、天才といえる人なんでしょう。


映画やドラマにも出演が決まっていたので、新しい志村さんが見られるのではないかと、期待していたので、とても残念です。
ネットのニュースで、志村さんが感染したと聞いたとき、持病のある人は、致死率が高いというのも、報道されていたので、相当にまずいのではないかと思っていましたが、残念でなりません。


酒が呑めない私ですが、26歳ぐらいからか、ゴルフの先輩から、クラブ活動のレギュラーに推挙されてしまい、銀座、赤坂、六本木と毎晩のように出かけて行きました。
補欠として、週に1、2度のクラブ活動なら、楽でしょうが、ひとたびレギュラーともなると、インスペクターのごとく、見回りをしなくてはなりませんから、今日はあの店の電球が消えている。なんて細かいところまで、チェックをしていたようです。
あの頃の練習は厳しかった。肉体的にも、金銭的にも・・・笑

30歳ぐらいだったか、これまた先輩に連れられて、六本木の芋洗い坂を下りたところにあった、Kというクラブに行くようになりました。
先輩も韓国の人でしたが、ここは、在日の人がやっていたクラブですから、何度か岩城滉一さんと、同じテーブルで、話をしたこともありました。
痩せていて、男から見てもかっこいい人でした。

その店に行くようになってから、何度となく、店内で志村さんをお見掛けしたものです。
いつも、上島竜兵さんと一緒に、数人で来ていました。
目立つという感じでもなく、いつも笑って呑んでいる印象でした。
もちろん、見かけただけですから、詳しくは、何も分かりませんが。

いかりやちょうすけさんが、俳優として、素晴らしい活躍だったように、志村さんも、これから、ドラマや映画など、新しい分野での活躍が、期待された矢先の訃報でした。
ご冥福をお祈りいたします。